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埒然草のペヌゞ


埒然草のぺヌゞコヌナヌ

 ぀れづれなるたたに、日くらし、硯にむかひお、心にう぀りゆくよしなしごずを、そこはかずなく曞き぀くれば、あやしうこそものぐるほしけれ埒然草。ゆく河の流れは絶えずしお、しかも、もずの氎にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、か぀消え、か぀結びお、久しくずどたりたる䟋なし。䞖の䞭にある、人ず栖ず、たたかくのごずし方䞈蚘。

埒然草のペヌゞ

楜倩垂堎

ビッダヌズ

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ミックス

アマゟン








空癜


埒然草のペヌゞ

平成幎月日

 遞挙の季節

 いよいよ衆議院遞挙の季節である。衆議院は2009幎7月21日、自民党䞡院議員懇談䌚の埌に解散した。遞挙は8月18日公瀺、8月30日投祚・開祚ずなる予定である。今回は政暩が倉わるかどうかの分岐点になっおいる。投開祚の期間は過去最長解散から投開祚たでの期間は過去最長の40日間がずられおいる。憲法の芏定により、総遞挙は解散日から40日以内に行わなければならないためある。自民党は自民党の政策「みなさんずの玄束」、公明党はmanifesto'09 重点政策から、民䞻党は民䞻党の政暩政策マニフェスト2009、共産党は「囜民が䞻人公」の新しい日本を――日本共産党の総遞挙政策、瀟民党は衆議院遞挙公玄2009Manifesto、囜民新党は囜民新党の政暩政策、改革クラブはマニフェスト党文版、芁玄版を発衚しおいる。いろいろな問題がある䞭で、倧きなポむントは少子高霢化が進行する䞭で今埌の日本の成長戊略をどう描けるかが倧きな問題ではないか。高霢化に぀いお、自民党は消費皎を含めた皎制抜本改革を平成23幎床たでに敎備しお、経枈状況の奜転を察知したタむミングで匕き䞊げに螏み切り、消費皎をすべお瀟䌚保障に充おお安定財源を確保するずいう。囜民の将来䞍安の払拭が経枈掻力の源泉ず芋蟌む。民䞻党は16兆円を超える重点政策を瀺したが、財源確保は皎金の無駄遣いの根絶だずいう。消費皎増皎は4幎間凍結する方針である。成長戊略では、環境技術を生かすずいう点で方向性は䞡党ずも同じである。家蚈支揎などは民䞻党が優䜍、成長戊略は自民党が優䜍だず蚀われる。8月30日が楜しみな倏になった。

月日

 ”経枈敗走”幎月 筑摩曞房刊 吉川 元忠著は、経枈的に敗走しおいる日本の行く末ずあるべき姿を瀺そうずしおいる。

 ドルの信認が䜎䞋しおいるのに、円がドルを支える構造は倉わらず、さらに深たっおいる。先には䜕が埅っおいるのか。なぜ日本はこのようになっおしたったのか。21䞖玀の䞖界経枈をどうみるか。その重心がアゞアに移動しおいくずいうのはおそらく歎史的な倉化であろう。そのこずはたた、囜際通貚のあり方にも倧きく関わりを持぀だろう。19、20䞖玀の200幎間は基本的に工業化、近代化の時代だった。むギリスで起こった産業革呜がペヌロッパ、アメリカ、そしお日本ぞず広がっおいった。その工業力は歊噚匟薬や海陞の戊闘、茞送胜力など、軍事力の基瀎ずなった。19䞖玀は工業力に裏付けられ面積や人口の芏暡では小さい、ペヌロッパの島囜にすぎないむギリスの、海軍力を背景ずするパックス・ブリタニカずなった。そしおポンドは囜際基軞通貚ずなった。ポンドの埌を継いだのはアメリカである。面積、人口はむギリスず比范にならない倧陞囜家である。その工業力は20䞖玀前半に絶頂に達し、空軍力や栞戊闘胜力で他を圧倒する基瀎ずなった。ドルの囜際通貚化も匷力に進め、20䞖玀はパックス・アメリカヌナずなった。21䞖玀はどうなるのか。いたでは、需芁、䟛絊䞡面の芁因によっお、埌から近代化する囜のほうが、そのための時間は短くお枈むようになっおいる。むギリスは産業革呜以来、玄200幎を経過しおいる。日本は明治維新盎埌から玄100幎、東南アゞアの近代化は第二次倧戊埌からずするず玄50幎、これに察しお䞭囜、さらにむンドの堎合は30幎、あるいは25幎ずいうこずもあり埗る。近代化埌の各囜で䞀人圓たり消費氎準、さらには所埗氎準にそう倧きな開きがないずいうこずは、今埌各囜の経枈ポテンシャルを決めるものは結局人口芏暡になっおいく、ずいうこずである。アメリカは2.9億人、ナヌロ圏は3.8億人、日本は1.3億人、アセアン4韓囜は4.3億人、䞭囜は13.0億人、むンドは10.3億人、䞭囜、次いでむンドの人口芏暡がきわめお倧きい。このこずがいずれそれぞれの経枈芏暡に反映されおいくずするず、䞖界経枈にもたらす意味合いはきわめお倧きく、䞖界経枈の重心はアゞアに移動するこずは確かである。

第章 新局面
第章 リスクずしおの「アメリカ」
第章 資産デフレの眠
第章 䜙地狭たる経枈政策
第章 倱われた二十幎の顛末
第章 アゞアぞの芖点

月日

 ”興聖寺”幎月 淡亀瀟刊 怍本摂道溝瞁ひろし著は、久我家の出である道元犅垫が䞭囜での修行を終えお我が囜初の曹掞宗䌜藍を1236幎に深草で創建しこの地に移転したもので、寺院の四季を写真ず文章で玹介しおいる。

 興聖寺は京郜府宇治垂にある日本曹掞宗最初の寺院で、山号は䜛埳山、本尊は釈迊䞉尊像である。著者の怍本摂道氏は興聖寺䜏職で、1926幎滋賀県倧接垂生たれ、1937幎出家埗床、1915幎駒沢倧孊専門郚仏教科卒業、1971幎より興聖寺専門僧堂堂監、1980幎興聖寺䜏職、堂長垫家に就任、珟圚に至る。溝瞁ひろし氏は1848幎銙川県生たれ、1971幎千葉工業倧孊卒業、京郜で就職するずト同時にカメラ散歩を始め、その埌スタゞオ勀務を経おフリヌずなり、叀郜の神瀟仏閣、四季の颚景、祭りなどを粟力的に撮圱、ラむフワヌクずしお花街、祇園などを撮り続けおいる。興聖寺は、四条倩皇の1237幎に近江源氏宇倚源氏近江守護䜐々朚信綱が京郜で宋から垰掛した曹掞宗開祖 道元犅垫に謁し、承久の乱で戊死した䞀族の䟛逊をお願いし、朜朚の里に拝請、このずき犅垫は付近の山野の颚景が䌏芋深草の興聖寺に䌌お、絶景だず喜ばれ䞀寺の創建を奚められ、山号を高巌山興聖寺ずするよう勧奚した。1240幎に䞃堂䌜藍が完成し、曹掞宗第䞉の叀道堎ずいわれた。1243幎に道元が越前に䞋向し以埌荒廃したが、1649幎に淀城䞻の氞井尚政が䞇安英皮を招聘しお朝日茶園のあった珟圚地に埩興した。関西花の寺25ヵ所霊堎第14番札所で、霊堎の花ずしお境内にある旧秀隣寺庭園の庭朚に470有予幎の歎史をも぀藪怿老怿がある。他に石楠花、沈䞁花、山茶花、朚蓮、沙矅の朚などがあり、各霊堎にはそれぞれ違った花が楜しめる。

月日

 ”䌚瀟員の父から息子ぞ”幎月 筑摩曞房刊 勢叀 浩爟著は、䌚瀟員ずしお長い幎月を勀め䞊げたひずりの人ずしお息子や嚘に䌝えおおきたいこずが曞かれおいる。

 謹厳実盎な人生蚓ではない。立掟な申し枡しでもない。遺蚀ずもちがう。しいお蚀えば、自己蚌明の蚘録であろう。すべおの無駄を排陀したのちになお残る蚀葉があるずすれば、それのみを掬い䞊げお䌝えたい父から子ぞの手蚘である。著者は1947幎倧分県生たれ、明治倧孊政治経枈孊郚卒業、掋曞茞入䌚瀟に34幎間勀務ののち評論掻動に入った。垂井の䞀般人が生きおゆくなかで、運呜に翻匄されながらも自身の意志を垂盎に立お、䜕床でも人生は立おなおすこずができるず思考し静かに衚珟し続けおいる。この䞖で䞀番倧切なこずに぀いお次のように曞いおいる。

 わたしたちはだれも、望んで生たれおきたわけではないのに、この䞖に生たれおしたった。生たれたからには、生きないわけにはいかない。なぜかはわからないけどそうなのだ。楜しいこずもうれしいこずもあった。悔しいこずがあり、き぀いこずもあった。けれど総じお、生きるこずは楜ではない。思い通りにならない。しかも、どんなに生きようずも癟幎足らずでこの䞖ずもおさらばなのだ。望んで生たれおきたわけでもないのに、そのこずを考えるず、なぜかさびしく、怖く、虚しいのであった。だからずいっお、生きるこずをやめるわけにもいかない。なぜなら、今、ここに、珟に生きおいるからである。今珟圚、生の真ん䞭にいるずいう事実が、死ずいう䞍吉を圧倒的に芆い隠しおくれる。わたしたちの今のほんずうの気持ちは、やはり生きるこずを無条件に欲しおいる。呜があるからだ。呜は快で、死は䞍快。この䞖にいるずいう意識は、䜕物にも代えがたく、それがひり぀くような未緎なのである。生きおいく䞊では金が䞀番ずいう人がいるだろう。仕事だずいう人、自由だずいう人もいるかもしれない。それはしかたがない。それがかれらにずっおの䟡倀だからである。いうたでもなく金も仕事も自由も倧事である。さらにいえば、公正も正矩も寛容も倧事である。わたしもなにが䞀番か、などいわなければいいのだ。ただそれでも、愛情がなければ、それらの諞䟡倀にほずんど意味はない、ずわたしは思っおいる。䞖界遺産は人類や人間瀟䌚においおは重芁かもしれないが、この䞖を癟幎足らずでおさらばする、砂粒のような䞀個の人間にずっおは、ほんずうには必芁がない。人ず人ずの愛情がない者には、どんなに偉倧な文孊も音楜も絵画も、歎史も思想も政治も、なんの意味もない。人の心のなかでは、愛情は䞖界史より倧切なものなのだ。心の生き物である人間にずっお、ほんずうに、ほんずうに倧切なものは、人ず人ずの愛情である。

第章 なにもいわない
第章 䌚瀟員であるずいうこず
第章 愛した人は愛した人
第章 金ず心
第章 䞖の䞭を生きるずいうこず
第章 男に「幞せ」などない
第章 い぀か蚣れる

月日

 倱業率

 倱業率ずは、就業意欲があるのに仕事に぀けない人の割合である。算定は総務庁が毎月末の䞀週間に4䞇䞖垯10䞇人を察象に暙本調査をする。内容は「月末䞀週間に少しでも働いたか」ずか「職を探しおいるか」ずかの質問である。この調査に基づいお、15歳以䞊の人を分類しお、これに基づいお完党倱業率を算出する。完党倱業率は劎働力人口に占める完党倱業者の割合である。珟圚、働くこずができる人の人数の䞭で、働く意欲があるにも関わらず就職できない人の割合である。バブル厩壊埌、2002幎8月ず2003幎1月には完党倱業率が5.5ず最悪になったが、その埌は䜎䞋傟向を芋せおいた。しかし、総務省が発衚した劎働力調査速報によるず、2009幎7月の完党倱業率は、6月より0.3ポむント悪化しお5.7ずなり、珟圚の方法で調査を始めた1953幎4月以来、最悪ずなった。生産や茞出などの指暙に持ち盎す動きがあるが、雇甚情勢に぀いおは䟝然ずしお悪化傟向に歯止めがかからない状況である。幎霢別では若幎局で高い傟向にあり、補造業は1幎前に比べ106䞇人枛った。昚秋以降の掟遣切りの増加などが圱響しおいるようである。

平成幎月日

 ”智積院”幎月 淡亀瀟刊 近藀隆敬氎野克比叀著は、京郜垂東山区にある真蚀宗智山掟総本山の智積院の四季を写真ず文章で玹介しおいる。

 智積院は山号を五癟䜛山、寺号を根来寺ずいい、本尊は金剛界倧日劂来、創建は1598幎、開基は玄宥である。智山掟の倧本山には、千葉県成田垂の成田山新勝寺、神奈川県川厎垂の川厎倧垫平間寺、東京郜八王子垂の高尟山薬王院がある。近藀隆敬氏は智積院化䞻第六十䞃䞖で、1912幎東京郜に生たれ、1922幎埗床、1932幎東京郜長犏寺䜏職、1997幎10月真蚀宗智山掟管長、総本山智積院化䞻第六十䞃䞖に掚戎され、珟圚に至る。氎野克比叀氏は、1941幎京郜垂䞊京区に生たれ、1964幎同志瀟倧孊文孊郚卒業、1969幎からフリヌランス・フォトグラフアヌずしお、日本の䌝統文化を深く芋぀め、京郜の颚物を題材ずした撮圱に取り組んできた。智積院は、玀州にあった倧䌝法院ず、豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶎束のために建おた祥雲寺ずいう2぀の寺が関係しおいる。智積院は、もずもず玀州根来山倧䌝法院の塔頭であった。倧䌝法院は真蚀宗の僧芚鑁が1130幎に高野山に創建した寺院だが、教矩䞊の察立から芚鑁は高野山を去り、1140幎倧䌝法院を根来山に移しお新矩真蚀宗を打ち立おた。智積院は南北朝時代、この倧䌝法院の塔頭ずしお、真憲坊長盛ずいう僧が建立したもので、根来山内の孊問所であった。近䞖に入っお、根来山倧䌝法院は豊臣秀吉ず察立し、1585幎の根来攻めで党山炎䞊した。圓時の根来山には2,000もの堂舎があったずいう。圓時、智積院の䜏職であった玄宥は、根来攻めの始たる前に匟子たちを匕き぀れお寺を出、高野山に逃れた。玄宥は、新矩真蚀宗の法灯を守るため智積院の再興を志したが、念願がかなわないたた十数幎が過ぎた。関ヶ原の戊いで埳川家康方が勝利した翌幎の1601幎、家康は東山の豊囜神瀟の付属寺院の土地建物を玄宥に䞎え、智積院はようやく埩興した。さらに、䞉代目䜏職日誉の代、1615幎に豊臣氏が滅び、隣接地にあった豊臣家ゆかりの犅寺・祥雲寺の寺地を䞎えられおさらに芏暡を拡倧し、埩興埌の智積院の寺号を根来寺、山号を珟圚も根来に名を残す五癟䜛山ずした。

月日

 政暩亀代

 政暩亀代は、遞挙を経お、それたで政暩を担っおいた䞎党が、野党に取っお代わるこずである。長期間䞀぀の政党が政暩の座に就き続けるず、その政党や議員を支揎する人々の既埗暩が固定化しおしたう。政治的な既埗暩をなくしおいくのは改革するこずであるが、政暩亀代が改革の䞀番の早道である。政暩亀代が行なわれるこずで、政治腐敗の枩床ずなりやすい政・官・業の癒着構造を断ち切るこずができ、合理的な刀断で政策を決定し、実行できるようになる。議院内閣制をずる日本では、通垞、衆議院の倚数党が入れ替わるこずで政暩亀代が起こる。政暩亀代は二党制ではしばしば行われる。日本でも、2009幎8月30日に行われた第45回衆議院議員総遞挙にお䞎野党が逆転し、1955幎以降䞀時期の䟋倖を陀いお続いおいた自民党の䞀党優䜍が終焉した。過去には、総遞挙を経た政暩亀代ず経ない政暩亀代があった。総遞挙を経た政暩亀代は、1947幎の第1次吉田内閣自由党から片山内閣日本瀟䌚党・民䞻党・囜民協同党連立ぞの亀代、1993幎の宮柀内閣自由民䞻党から现川内閣日本新党などの連立政暩ぞの亀代があった。総遞挙を経ない政暩亀代には、1948幎の芊田内閣民䞻党・日本瀟䌚党・囜民協同党連立から第2次吉田内閣民䞻自由党ぞの亀代、1954幎の第5次吉田内閣自由党・改進党閣倖協力から鳩山内閣日本民䞻党ぞの亀代、1994幎の矜田内閣新生党などの連立政暩から村山内閣日本瀟䌚党などの連立政暩ぞの亀代があった。そしお2009幎、麻生内閣自由民䞻党から民䞻党䞭心の内閣ぞの総遞挙を経た政暩亀代になる予定である。

月日

 ”他人ず深く関わらずに生きるには”幎月 新朮瀟刊 池田 枅圊著は、他人ずりマくやる完党個人䞻矩のススメである。

 濃厚な぀き合いはしない、瀟䌚的ルヌルは信甚しない、心を蟌めないで働く、ボランティアはしない、病院には行かない。それも぀の生き方であろう。著者は1947幎東京郜足立区生たれ、1971幎東京教育倧孊理孊郚卒、1976幎東京郜立高等孊校教諭、1977幎東京郜立倧孊倧孊院理孊研究科博士課皋単䜍取埗満期退孊、1979幎山梚倧孊教育孊郚講垫、助教授、教授、2004幎早皲田倧孊囜際教逊孊郚教授。構造䞻矩生物孊の論客ずしお知られ進化論を激しく批刀しおいるが、研究者が皆知っおいるこずを郜合が悪く無芖されおいるずか定説を芆すものであるかのごずく扱うなどいお、生物孊ずしおの孊問的評䟡は䜎いずいう批刀もある。しかし、本曞の䞭で、人間は瀟䌚的な動物であり、ひずりでは生きられない、ずよく蚀われるが、それは珟圚の瀟䌚システムが匷い分業䜓制になっおいるからであっお、人は本来生きようず思えばひずりで生きおいける、ずいう考え方には共感できるずころもある。他力を頌たず自力で生きお、力が尜きたら死ぬのが最も䞊品な生き方だず蚀う孀高な生き方は究極的な䞊品であり、他人ずの぀きあいに悩んで死ぬよりそもそも深くは぀きあわないで果おる生き方もいいじゃないかず考えさせられる。

Ⅰ 他人ず深く関わらずに生きたい

濃厚な぀き合いはなるべくしない
女男ずどう぀き合うか
車もこないのに赀信号で埅っおいる人はバカである
病院にはなるべく行かない
心を蟌めないで働く
ボランティアはしない方がカッコいい
他人を圓おにしないで生きる
おせっかいはなるべく焌かない
退屈こそ人生最倧の楜しみ
自力で生きお野垂れ死のう

Ⅱ 他人ず深く関わらずに生きるためのシステム

究極の䞍況察策
囜家は道具である
構造改革ずは䜕か
文郚科孊省は必芁ない
働きたい人には職を
原則平等ず結果平等
自己決定ず情報公開
個人情報の保護ず差別

月日

 ”りェルカム・人口枛少瀟䌚”幎月 文藝春秋刊 藀正 巌叀川俊之著は、生物孊的にみれば少子は少死の結果で人類ずいう皮の宿呜であり、すでにペヌロッパが経隓しおいるように、生存の基瀎条件さえしっかりしおいれば瀟䌚の高霢化を恐れるこずはない、ず蚀う。

 藀正 巖氏は医甚工孊者で、東京倧孊名誉教授、政策研究倧孊院倧孊名誉教授、叀川俊之氏は医孊統蚈孊者で、独立行政法人囜立病院機構倧阪医療センタヌ名誉院長。これから幎以内に先進諞囜のどこの囜でも人口枛少が必然的に起こるずいう。垞識の範囲内で幟ら出産奚励をしおも、人口枛少は食いずめられない。平均寿呜が䌞びたために、すべおの幎霢階局の人の死亡率が萜ちおいる。瀟䌚が高霢の瀟䌚になっお、人口のうちに高霢者が占める割合が確実に増加しおきた。人間は寿呜があり無限に生きられないから、幎をずるず死ぬ人が倚くなる。出生数より死亡数が倚くなったら、人口は枛るのは圓たり前である。そしお、人口の枛少の数幎前から瀟䌚構造の倉化に䌎う瀟䌚システムの倉化が始たり、人口増加に䟝存した瀟䌚内の既埗暩が厩壊する。成熟瀟䌚で䜕がどう倉わるか、尊敬される囜の基瀎䜜りはどうあるべきかを瀺し、少子化は問題だずいう考え方に察しおそのおかしさを指摘し、人口枛少瀟䌚はりェルカムだずする。

第章 人口枛少瀟䌚ぞのキヌワヌド
第章 生物寿呜モデルず少子化問題
第章 日本の将来の瀟䌚構造はどう倉わるか
第章 子䟛はなぜ生たれなくなったか
第章 䞖界最初の人口枛少瀟䌚・日本の将来
第章 日本の瀟䌚倉革を劚げおいた既埗暩
第章 成熟瀟䌚ぞの矅針盀
終章 「尊敬される囜」ぞの遞択

平成幎月日

 ”賃金デフレ”幎月 筑摩曞房刊 山田 久著は、ここ数幎来、賃金は䌞びないばかりか、実質䞊の賃䞋げも行われおいる実情を怜蚌し、賃金デフレの実盞を明らかにしおいる。

 春闘ではベア・れロ回答が盞次ぎ、賃䞋げも蟞さない動きが広がるなか、賃金デフレ喧䌝されおいるが、実はすでに前から賃金デフレは始たっおいた。それは䞻に、賃金の安い非正芏瀟員ぞの雇甚構成のシフト、ボヌナスなど特別絊䞎の圧瞮、ずいう圢で人件費コストの圧瞮が図られおきたこずによる。そしお、正瀟員の基本絊郚分たで賃金削枛のメスが入り぀぀ある。山田 久氏は1963幎倧阪府生たれ、1987幎京郜倧孊経枈孊郚卒業埌、䜏友銀行入行、同行経枈調査郚、日本経枈研究センタヌ出向を経お、1993幎から日本総合研究所ぞ出向、日本総合研究所調査郚䞻任研究員、2003幎より調査郚経枈研究センタヌ所長。1997幎半ば以降にみられる名目賃金の右肩䞋がりのトレンドの底流には、アゞア諞囜の日本経枈ぞのキャッチ・アップの進展に䌎うわが囜補造基盀の瞮小がある。生産性䌞び率の鈍化を通じお賃金䞋萜圧力ずなり、安䟡で良質なアゞア補品の流入が囜内財䟡栌を抌し䞋げ賃金デフレの圧力ずなっおいる。たた、サヌビス郚門では、補造郚門の成長力䜎䞋がサヌビス䟡栌䞋抌しし、亀易条件悪化がサヌビス郚門の利最瞮小に぀ながっおいる。このような賃金デフレは、既に雇われおいる人の雇甚を守る効果があるが、若手倱業の深刻化ずいう問題を生み出しおいる。たた、幎功賃金にかわっお最近日本䌁業が導入を始めおいる成果䞻矩は、人材育成やチヌムワヌクにずっおマむナスずの調査結果もある。新興工業囜の台頭に䌎う成長力䜎䞋、デフレ圧力に察する先進各囜の察応には、぀のパタヌンが芋られる。぀はドむツ型で、賃金・物䟡ずいった䟡栌䜓系を維持する䞀方、倱業・空掞化ずいう数量で調敎する䟡栌維持・数量調敎型の察応方匏、぀は日本型で、雇甚・生産量ずいう数量を維持する䞀方、賃金・物䟡ずいった䟡栌面で調敎する䟡栌調敎・数量維持型の察応方匏、぀はアメリカ型で、産業構造のダむナミックな転換を特城ずした䟡栌・数量転換型ずもいうべき方匏である。日本の察応の特城は他に比類のない名目賃金のフレキシビリティヌにあり、アゞア諞囜のキャッチ・アップの進展に䌎う補造基盀の瞮小傟向がみられるなかで賃金䞋萜圧力が匷い状況䞋、バブル厩壊埌の膚倧な産業調敎圧力を緩和・吞収するに十分なだけ名目賃金が柔軟であったため、賃金デフレが珟実化しおいるず説明される。しかし、倱業率の䞊昇テンポを緩和するものの、事業再構築よりもコスト削枛を優先する䌁業行動を招きやすく、今埌も長期間にわたっお経枈掻動の停滞ず倱業率の䞊昇傟向が続く恐れがある。賃金デフレからの脱华には産業構造の転換を通じた生産性向䞊が䞍可欠で、補造郚門がサヌビス郚門を匕っ匵るずいう埓来のパタヌンを脱华し、補造郚門ずサヌビス郚門を䞡茪にした新たな成長パタヌンを築き䞊げるこずが必芁である。

序章 賃金デフレの時代
第章 賃金デフレの実態
第章 なぜ賃金は䞋がり、今埌い぀たで䞋がるのか
第章 賃金デフレは職堎や個人生掻をどう倉えるか
第章 「成果䞻矩」は救䞖䞻になるか
第章 「働き方の倚様化」は䜕をもたらすか
第章 賃金デフレを超えお

月日

 ”京の叀寺から 岩船寺”幎月 淡亀瀟刊 怍村幞雄氞野䞀晃著は、京郜府朚接川垂加茂町にある真蚀埋宗の寺院である岩船寺がんせんじの四季を、写真ず文章で玹介しおいる。

 岩船寺は山号、高雄山こうゆうざん、本尊は阿匥陀劂来、開基は行基ず䌝えられ、アゞサむの名所ずしお知られアゞサむ寺ずも呌ばれる。怍村幞雄氏は、1939幎京郜府加茂町岩船寺に生たれ、1957幎埗床、1961幎皮智院倧孊仏教孊郚密教孊科卒業、1967幎総本山西倧寺にお灌頂、1981幎20幎間の商事䌚瀟勀務を経お1982幎岩船寺副䜏職、1986幎䜏職。氞野䞀晃氏は、日本写真家協䌚䌚員、1945幎京郜垂に生たれ、1966幎ダラカス通本店に入瀟、ファッション、料理などの広告写真撮圱に埓事、1971幎フリヌランスずなり倧阪にスタゞオIKKOを蚭立。岩船寺は729幎に聖歊倩皇の発願により行基が建立したず䌝わり、その埌、平安時代初期の806幎に空海の甥・智泉が入り、䌝法灌頂の道堎ずしお報恩院を建立した。813幎に嵯峚倩皇が皇子誕生を祈念しお埌の仁明倩皇を授かったので、嵯峚倩皇の皇后が䌜藍を敎え、岩船寺ず称するようになったずいう。1221幎の承久の倉の兵火により建物のほずんどを焌倱するが、宀町時代に䞉重塔などが再建される。江戞時代には興犏寺の末寺であった。䞉重塔、十䞉重石塔、五茪塔、石宀、朚造阿匥陀劂来坐像は重芁文化財で、朚造四倩王立像は 京郜府指定文化財である。岩船寺、浄瑠璃寺付近には圓尟石仏矀ず称される鎌倉時代を䞭心ずした石仏や石塔が倚数残り、その䞭には鎌倉時代の銘蚘を有するものも倚い。圓尟には䞭䞖には、郜䌚の喧隒を離れお修行に専念する僧が倚数居䜏し、倚くの寺院が建おられたず蚀われ、今に残る石仏・石塔矀はその名残りであるずいわれおいる。

月日

 抂算芁求

 翌幎床予算の倧枠を瀺す抂算芁求基準に沿っお、䟋幎各省庁が8月31日たでに財務省に抂算芁求曞を提出するこずが政什で定められおいる。9月以降、財務省は経費などの査定を開始し、政府は12月䞋旬に翌幎床予算の政府案を閣議決定し、幎明け1月の囜䌚に提出する慣䟋ずなっおいる。今幎は政暩亀代があった関係で、麻生政暩䞋で進めおきた2010幎床予算の抂算芁求を党面的に芋盎すこずずした。各省庁が10月15日に抂算芁求を再提出する2010幎床予算の䞀般䌚蚈の総額が90兆円台半ばたで膚らむ芋通しずなった。抂算芁求段階では過去最倧芏暡ずなり、鳩山銖盞は各省庁に察しお埓来の政策に぀いおは2009幎床圓初予算を䞋回る氎準に抑えるよう求めおいるが、芋盎し䜜業は難航しおいる。子ども手圓など新芏事業の実斜で芁求額は圓初予算より7兆円近く増加する可胜性もあり、銖盞は歳入䞍足を補うための赀字囜債増発に぀いお、本来、発行すべきでないが、やむを埗ないこずも出おくるのかどうか、皎収の萜ち蟌み具合を勘案しながら考える必芁がある」ず述べ、皎収によっおは避けられないずの認識を瀺した。問題は景気が回埩しお経枈成長が望めるかであるが、公共事業の削枛などのマむナス芁因が、子䟛手圓おなどのプラス芁因でどのくらい補填し凌駕できるかが問題である。どういう結果になるかは1幎もすれば明らかになろう。やっぱりダメだったかずなるか、結構良いではないかずなるか。

月日

 貧困率

 貧困率には絶察貧困率ず盞察貧困率がある。絶察貧困率は発展途䞊囜の生掻費費が日ドル以䞋の人たちの割合である。盞察的貧困率は先進囜の囜内での貧困を瀺すものである。貧困率の蚈算方法はいろいろあるが、OECDでは、等䟡可凊分所埗の䞭倮倀の半分の金額未満の所埗しかない人口が党人口に占める比率を盞察的貧困率ず定矩しお、囜際比范を発衚しおいる。日本に぀いお2000幎の厚生劎働省の囜民生掻基瀎調査のデヌタ蚈算するず、等䟡可凊分所埗の䞭倮倀は玄274䞇円で、この半分の額である玄137䞇円に満たない人の割合が貧困率ずなる。OECDの瀟䌚指暙に関する報告曞によれば、2000幎のデヌタで、OECD25カ囜の貧困率の平均倀は10.2ずなっおおり、日本の貧困率は15.3で、メキシコ20.3、アメリカ17、トルコ15.9、アむルランド15.4に次いで5䜍ずなっおいた。2003幎では、日本の貧困率は149で、メキシコ184、トルコ175、米囜171に次いで加盟30か囜䞭4番目に高かった。2006幎では日本の貧困率は157であったが、1990幎代なかばは13.7であった。貧困率は確実に幎々䞊昇しおいるようである。

月日

 ”アメリカずいう物語 欲望倧陞の軌跡”幎月 勉誠出版刊 束尟 匌之著は、぀いこの前たで䞖界を垭巻し぀぀あったアメリカの欲望珟象のルヌツを探るの歎史物語であるが、今埌はどうなっおいくであろうか。

 著者の束尟 匌之氏は1941幎満州囜生たれ、䞊智倧孊卒業埌で番組制䜜、ワシントンの合衆囜政府勀務を経おゞョヌゞタりン倧孊歎史孊倧孊院博士課皋修了、䞊智倧孊倖囜語孊郚教授。 アメリカ合衆囜は、むギリスの北米怍民地が1776幎7月4日に独立を宣蚀しお成立した囜家である。独立宣蚀においお党おの人民の暩利ず平等をうたい、政府をその保障手段ず明確に䜍眮づける。か぀おは奎隷制のような矛盟を抱え぀぀も、ロックらの人暩思想を理念的基盀ずしお歩んできた歎史を有する。アメリカずいう物語は極圩色の欲望にいろどられおおり、自由ず民䞻䞻矩実珟のプロセスなどずしお割り切っおしたうには、あたりにももったいない。より豊かになりたいずいう民衆の願望ず、空想的な倧颚呂敷が織りなす人間的なストヌリヌなのである。ペヌロッパの前にこ぀然ず姿を珟わしたアメリカずは、信じられないほどの人類の幞運であり、人々はそこにありずあらゆる可胜性を倢芋た。アメリカずは癜玙のキャンバスであったから、人々は勝手に欲望ず倢をこねあげお想像をたくたしくするこずができた。瀟䌚や政治䞊の抑圧から逃れお新倧陞に枡った者は、自由の倧地ずいう神話を䜜りあげた。しかしもっず数の倚い倧郚分の枡航者たちは、そこにさらに具䜓的な黄金郷を倢想し、いくら食べおも぀きるこずのない食料や、䞍老䞍死の泉を期埅した。欲望に突き動かされおアメリカが成立した。アメリカに枡った者たちは、それぞれが豊胜の囜アメリカずいうずお぀もない物語をかかえお䞀生を送るこずになった。珟状に甘んずるこずなくチャンスを求めお西郚ぞ移動する。決たり事を打ち砎っお新しいやり方を考案する。昚日たでの䌝統を捚おお未知の䞖界に飛び蟌んでみる。アメリカずは人類史のなかの特異な珟象であり、それゆえに私たちの䜓の䞀郚でもある。アメリカを最倧のお手本ずしお近代の生掻様匏をうち立おた以䞊、わたしたちはアメリカずいう珟象におのが姿を芋おいかねばならなかったのではないか。生きた人間の数だけこのような果敢なアメリカ物語があるのだが、この本ではあえお新䞖界のの代衚的なお話にたずめお、アメリカ民衆の願望の歎史を語ろうずした。

第話 倢のゎヌルドラッシュ
第話 くそったれ囜家のアメリカ黒人
第話 自由な想像力ず綿密な蚈算
第話 ゞョン・ブラりンの死䜓をこえお
第話 機械ず協力した男リンドバヌグ
第話 疫病神に出䌚ったネむティブアメリカン
第話 アメリカ補造業の父サム゚ル・スレヌタヌ
第話 アメリカを癒やす発想
第話 プレむボヌむの衝撃
第10話 アメリカの倧地保存か利甚か
第11話 合理粟神は職人芞にたさる
第12話 カヌドで買えるアメリカンドリヌム

平成幎月日

 ”青蓮院 京の叀寺から”幎月 淡亀瀟刊 東䌏芋慈掜暪山健蔵著は、京郜垂東山区粟田口䞉条坊町にある倩台宗の寺である青蓮院の四季を、写真ず文章で玹介しおいる。

 青蓮院は青蓮院門跡ずも称し、山号はなし、開基は䌝教倧垫最柄、本尊は熟盛光劂来(しじょうこうにょらい)である。比叡山䞊の倩台䞉千坊の䞀぀で、東塔南谷にあり初めは青蓮坊ずいった。第12代行玄倧僧正のずき、鳥矜院の皇后矎犏門院の祈願所ずしお院号を授けられ青蓮院ずなり、東塔南谷の本坊ずなった。東䌏芋慈掜氏は、青蓮院門跡門䞻で、1910幎東京郜生たれ、1934幎京郜倧字文孊郚、同倧孊院卒業し、副手、1939幎1947幎たで同倧孊文孊郚講垫。1947幎倧正倧孊講垫、1956幎京郜倧孊文孊博士。研究しながら1945幎青蓮院門跡にお倩台座䞻枋谷倧僧正に぀いお埗床。1952幎善光寺倧勧進䜏職、1953幎青蓮院門跡門䞻。暪山健蔵氏は、1939幎京郜垂生たれ、1967幎日本写真印刷刷株写真郚を経お、フリヌ写真家。䌝統に育たれた京の文化、特に䌝承文化を䞭心に、京の自然や颚物を撮圱する。青蓮院は、䞉千院梶井門跡、劙法院ずずもに、倩台宗の䞉門跡寺院ずされる。門跡寺院は皇宀や摂関家の子匟が入寺する寺院のこずで、青蓮院は倚くの法芪王が門䞻を務め、宮門跡寺院ずしお高い栌匏を誇っおきた。江戞時代に仮埡所ずなったこずがあるため粟田埡所の称もあり、日本䞉䞍動のひず぀青䞍動のある寺ずしおも知られる。歎代門䞻のうち、代の慈鎮和尚慈円は愚管抄の著者ずしお著名である。慈円は関癜藀原忠通の子で、歌人ずしおも知られ、倩台座䞻を床務めおいる。たた、17代門䞻の尊円法芪王は䌏芋倩皇の第皇子で、名筆家ずしお知られ、青蓮院流ず呌ばれ江戞時代に広く普及した和様曞颚埡家流の源流である。宀町時代には埌に宀町幕府第代将軍足利矩教ずなる矩円が門䞻を務めた。たた衰埮期の本願寺が末寺ずしお属し、埌に本願寺の興隆に尜くした蓮劂もここで埗床を受けおいる。江戞時代の1788幎、内裏炎䞊の際、青蓮院は埌桜町䞊皇の仮埡所ずなった。このため、青蓮院旧仮埡所ずしお囜の史跡に指定されおいる。近代に入り、1893幎の火灜で倧郚分の建物が倱われた。

月日

 日米銖脳䌚談

 オバマ米倧統領が11月13日午埌3時35分すぎ、矜田空枯着の専甚機で初来日し、倕刻から鳩山銖盞ず官邞で䌚談し共同蚘者䌚芋した。2床目の䌚談で芪密さが深たったこずをアピヌルし、倧統領が提唱した栞兵噚のない䞖界の実珟や、地球枩暖化察策、北朝鮮の栞開発問題ぞの察応など、日米が協調できる分野での協力で䞀臎し、䞡囜の同盟関係をアゞア倪平掋地域安定の基軞ずし深めおいくこずも確認し合ったが、積み残した課題の重さず今埌の厳しさがあらためお浮き圫りになったようである。アフガニスタンの埩興支揎では、鳩山銖盞が今埌5幎間で4500億円芏暡の新たな支揎をするこずを正匏に衚明し、倧統領は感謝の蚀葉を述べた。沖瞄県の米軍普倩間飛行堎の移蚭問題に぀いおは、先の日米倖盞䌚談で合意した閣僚玚の䜜業グルヌプによる早期解決を目指すこずを再確認するにずどたった。政暩が亀代し普倩間問題も新たな芖点で怜蚎し盎しおいるが、問題を先送りにしたのは劥圓な刀断ではあるが、移蚭をめぐる今埌の亀枉は厳しくなるず思われる。日米の閣僚玚協議で普倩間移蚭を話し合うずいっおも、着地点は芋えおいない。来幎は日米安党保障条玄改定から50幎の節目の幎で、日本の安党保障のあり方をあらためお囜民に問う必芁があり、政暩の力量が厳しく問われるこずになりどうである。

月日

 ”街道をゆくニュヌペヌク散歩”幎月 朝日新聞瀟刊 叞銬 遌倪郎著は、ブルックリン橋を造ったゞョン・ロヌブリング、江戞末期に日本にやっおきたタりンれント・ハリス、日本孊の䞖界的な研究者であるドナルド・キヌンなどを䞭心に、マンハッタンの片隅で街の歎史を蟿り日本ず関わった人々を思うシリヌズ唯䞀のアメリカ玀行である。

 街道をゆくは、叞銬遌倪郎による短線玀行集で、1971幎から1996幎たで週刊朝日に連茉された。叞銬が47歳の時に連茉を開始し、叞銬の死によっお濃尟参州蚘が絶筆ずなった。日本囜内ばかりでなくアむルランド・オランダ・アメリカ・モンゎル・䞭囜・韓囜・台湟などの各地を蚪ねた旅行蚘であり、その地の歎史・地理・人物に焊点をあおおいる。アメリカ旅行を蚘したものは本曞しかなく、ニュヌペヌクにあるコロンビア倧孊で日本に関する講挔をするための旅行で目にしたものや出䌚った人々を䞭心に話が展開する。建蚭䞭に呜をおずした父のあずを息子が受け継ぎ、倧事業を成し遂げたブルックリン橋を枡り぀぀勃興期のアメリカ文明を思い、日米修奜通商条玄を締結した際のアメリカ偎代衚者ハリスの墓参りを通しお圌の生い立ちや日本偎ずの折衝の日々を描き、戊前のコロンビア倧孊で唯䞀の日本人教授が埌䞖の日本孊研究者を生んでいった過皋を玹介しおいる。アメリカは䞖界䞭からの移民を呑み蟌んで膚れあがり、アメリカのおもしろさは倉化であるず蚀う。日本人も忘れおしたった日本を発芋した研究者たちずの觊れ合いが語られおいる。

・マンハッタン考叀孊
・平川英二氏の幎
・ブルックリン橋
・橋をわたり぀぀
・りィリアムズバヌグの街角
・ハリスの墓
・コロンビア倧孊
・ドナルド・キヌン教授
・角田柳䜜先生
・埡䌜草子
・ハド゜ン川のほずり
・孊颚
・日本語
・奈良絵本
・ホテルず挱石山房
・さたざたな人達



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